日本橋 丸直商店の店主ブログ

地下足袋【極短】再販開始!!

地下足袋【極短】再販開始!!

お待たせしました。前回の販売から約1ヶ月経ち、その間にお客様のご要望が多く、やっと再販売をさせていただくことになりました。今回も数量限定ですが、今回はInstagramのDMではなくECから受付させていただきます。再販売開始より一時間ですでに28cmは売り切れとなりましたが、他のサイズはまだ余裕がありますので、この機会にぜひご購入ください。引き続き、ご贔屓によろしくお願いいたします。

地下足袋【極短】再販開始!!

お待たせしました。前回の販売から約1ヶ月経ち、その間にお客様のご要望が多く、やっと再販売をさせていただくことになりました。今回も数量限定ですが、今回はInstagramのDMではなくECから受付させていただきます。再販売開始より一時間ですでに28cmは売り切れとなりましたが、他のサイズはまだ余裕がありますので、この機会にぜひご購入ください。引き続き、ご贔屓によろしくお願いいたします。

粋な股引とは

粋な股引とは

古来から伝わる祭り装束の股引、そもそもなんであの形なのか、、、?股が割れていて前後ろで形が違う、この股引きを当時の江戸っ子はどの様に着こなしていたのか色々調べてみた。 ・起源は、室町時代まだ遡り、それまでは着物に褌が主流であった。・その後、武家や商人たちが着物下に履くようになった。・特徴としては、脚の膨らみに合わせて、太ももからふくらはぎにかけて、後ろにまちが入っており、左右の生地が腰や尻を包む仕様に特徴がある。・江戸時代になると武家や商人、町人まで股引きを履く様になり、その頃には家紋入りの半纏なども着られる様なってきていた。・当時、股引は職人達の間で機能性が優れていたことから好まれて履かれる様になり、特に筏師の間では細い股引が好まれ、火消し達は柄入りの股引きを履いていた。・江戸時代の仕様が現在まで続いており、細さ柄などを楽しむ様になっている。 今回、調べて分かったのは江戸時代の庶民の流行から、江戸っ子らしくいかに粋に着用できるかを競い、当時の股引ファッションの最先端を筏師や火消し達が牽引していたということですね。 三社祭の担ぎ手の助っ人として筏師が重宝されていたと言われてますし、江戸前の股引の細さにも合点いきました。ということで、丸直商店では機能性や粋なフォルムを重視し、現代の股引きを考案中です。写真は試作品です。完成しましたら販売しますので、お楽しみに。

粋な股引とは

古来から伝わる祭り装束の股引、そもそもなんであの形なのか、、、?股が割れていて前後ろで形が違う、この股引きを当時の江戸っ子はどの様に着こなしていたのか色々調べてみた。 ・起源は、室町時代まだ遡り、それまでは着物に褌が主流であった。・その後、武家や商人たちが着物下に履くようになった。・特徴としては、脚の膨らみに合わせて、太ももからふくらはぎにかけて、後ろにまちが入っており、左右の生地が腰や尻を包む仕様に特徴がある。・江戸時代になると武家や商人、町人まで股引きを履く様になり、その頃には家紋入りの半纏なども着られる様なってきていた。・当時、股引は職人達の間で機能性が優れていたことから好まれて履かれる様になり、特に筏師の間では細い股引が好まれ、火消し達は柄入りの股引きを履いていた。・江戸時代の仕様が現在まで続いており、細さ柄などを楽しむ様になっている。 今回、調べて分かったのは江戸時代の庶民の流行から、江戸っ子らしくいかに粋に着用できるかを競い、当時の股引ファッションの最先端を筏師や火消し達が牽引していたということですね。 三社祭の担ぎ手の助っ人として筏師が重宝されていたと言われてますし、江戸前の股引の細さにも合点いきました。ということで、丸直商店では機能性や粋なフォルムを重視し、現代の股引きを考案中です。写真は試作品です。完成しましたら販売しますので、お楽しみに。

小舟町 天王祭

小舟町 天王祭

以前のブログでも紹介したが、9月12日(木)〜15日(日)まで、ご近所町会の小舟町にて八雲神社天王祭が開催されている。江戸の守り神とされた神田明神の境内にある3つの神社が1616年に幕府の手から町の名主に任されるようになって始まり、小舟町の天王祭は340年前に小伝馬町から小舟町に引継ぎ現在に至っているそうだ。本来は4年に一度の祭禮であるが、今年はコロナの影響もあり6年ぶりの祭禮になる。神田祭・山王祭と並ぶ「江戸三大祭」のひとつと言われているが、今年は日本橋の上から担ぎ上げるということで、楽しみで仕方ない。いよいよ明日、神輿馬鹿の本領発揮です。笑

小舟町 天王祭

以前のブログでも紹介したが、9月12日(木)〜15日(日)まで、ご近所町会の小舟町にて八雲神社天王祭が開催されている。江戸の守り神とされた神田明神の境内にある3つの神社が1616年に幕府の手から町の名主に任されるようになって始まり、小舟町の天王祭は340年前に小伝馬町から小舟町に引継ぎ現在に至っているそうだ。本来は4年に一度の祭禮であるが、今年はコロナの影響もあり6年ぶりの祭禮になる。神田祭・山王祭と並ぶ「江戸三大祭」のひとつと言われているが、今年は日本橋の上から担ぎ上げるということで、楽しみで仕方ない。いよいよ明日、神輿馬鹿の本領発揮です。笑

隅田川散歩道・浅草御蔵

隅田川散歩道・浅草御蔵

いつもの散歩道、隅田川沿いの浅草まで歴史探索をしてきました。最近流行りの米不足、新米が出始めているので心配はなさそうだが、その米にちなんだ探索でした。隣町の蔵前の由来など、勉強になりました。以下、浅草御蔵跡碑文引用です。 浅草御蔵は、江戸幕府が全国に散在する直轄地すなわち天領から年貢米や買い上げ米などを収納、保管した倉庫である。大坂、京都二条の御蔵とあわせて三御蔵といわれ、特に重要なものであった。浅草御蔵は、また浅草御米蔵ともいい、ここの米は、主として旗本、御家人の給米用に供され勘定奉行の支配下に置かれた。元和六年(1620年)浅草鳥越神社の丘を切り崩し、必田川西岸の奥州街道沿い、現在の柳橋二丁目、蔵前一・二丁目にかけての地域を埋め立てて造営した。このため、それ以前に江戸にあった北の丸、代官町、矢の蔵などの米蔵は、(1716〜36年)頃までに浅草御蔵に吸収された。江戸中期から幕末まで、浅草御蔵の前側を「御蔵前」といい、蔵米を取り扱う米問屋や札差の店が立ち並んでいた。現在も使われている「蔵前」という町名が生まれたのは、昭和九年のことである。

隅田川散歩道・浅草御蔵

いつもの散歩道、隅田川沿いの浅草まで歴史探索をしてきました。最近流行りの米不足、新米が出始めているので心配はなさそうだが、その米にちなんだ探索でした。隣町の蔵前の由来など、勉強になりました。以下、浅草御蔵跡碑文引用です。 浅草御蔵は、江戸幕府が全国に散在する直轄地すなわち天領から年貢米や買い上げ米などを収納、保管した倉庫である。大坂、京都二条の御蔵とあわせて三御蔵といわれ、特に重要なものであった。浅草御蔵は、また浅草御米蔵ともいい、ここの米は、主として旗本、御家人の給米用に供され勘定奉行の支配下に置かれた。元和六年(1620年)浅草鳥越神社の丘を切り崩し、必田川西岸の奥州街道沿い、現在の柳橋二丁目、蔵前一・二丁目にかけての地域を埋め立てて造営した。このため、それ以前に江戸にあった北の丸、代官町、矢の蔵などの米蔵は、(1716〜36年)頃までに浅草御蔵に吸収された。江戸中期から幕末まで、浅草御蔵の前側を「御蔵前」といい、蔵米を取り扱う米問屋や札差の店が立ち並んでいた。現在も使われている「蔵前」という町名が生まれたのは、昭和九年のことである。

オリジナル商品「極短」の反響に驚いた

オリジナル商品「極短」の反響に驚いた

先週末に兼ねてから進めていた丈の短い地下足袋、その名も「極短」を数量限定であるがInstagramで告知を行った。 何件か問い合わせが入ればいいなぁ。。。と思いながら投稿したわけだが、数分後にはInstagramのDM着信音が鳴り始め、DMの内容を見てみると「探していた」「気になる」「カッコイイ」などなど、思っていた以上の反響をいただいた。 この場を借りてお客様に御礼を申し上げます。 そもそも、店主自身がお神輿好きで粋にこだわってこの商売を始めたわけだが、夏場の神輿はかなりの暑さで、暑さ対策でこはぜ4枚の地下足袋の上部分を折り返して履いていた。 感覚的には、ズボンのチャックを開けたまま歩く様な気分で、どうもしっくりこない、粋なスタイルにこだわっておきながら、足元がイマイチ決まらない。色々考えた結果、初めから短ければ折り返す必要もないし、バシッと決まる。 そこで短い地下足袋を色々探したが、こはぜ4枚までが最短で、3枚2枚が売っていない。この商売を始めて作ってしまえばいいと思い、試しに作ってみた。 問い合わせの多さから、店主と同じ様に思っている人は多いようです。引き続き、こだわりのある粋な装束を開発していきます。次回はオリジナルの股引を開発します。皆様絶対に気にいるはず、お楽しみにして下さい。

オリジナル商品「極短」の反響に驚いた

先週末に兼ねてから進めていた丈の短い地下足袋、その名も「極短」を数量限定であるがInstagramで告知を行った。 何件か問い合わせが入ればいいなぁ。。。と思いながら投稿したわけだが、数分後にはInstagramのDM着信音が鳴り始め、DMの内容を見てみると「探していた」「気になる」「カッコイイ」などなど、思っていた以上の反響をいただいた。 この場を借りてお客様に御礼を申し上げます。 そもそも、店主自身がお神輿好きで粋にこだわってこの商売を始めたわけだが、夏場の神輿はかなりの暑さで、暑さ対策でこはぜ4枚の地下足袋の上部分を折り返して履いていた。 感覚的には、ズボンのチャックを開けたまま歩く様な気分で、どうもしっくりこない、粋なスタイルにこだわっておきながら、足元がイマイチ決まらない。色々考えた結果、初めから短ければ折り返す必要もないし、バシッと決まる。 そこで短い地下足袋を色々探したが、こはぜ4枚までが最短で、3枚2枚が売っていない。この商売を始めて作ってしまえばいいと思い、試しに作ってみた。 問い合わせの多さから、店主と同じ様に思っている人は多いようです。引き続き、こだわりのある粋な装束を開発していきます。次回はオリジナルの股引を開発します。皆様絶対に気にいるはず、お楽しみにして下さい。

中央区大江戸まつり盆おどり大会

中央区大江戸まつり盆おどり大会

こんにちは、店主です。 先週の金曜土曜と中央区の浜町グランドで、中央区大江戸まつり盆おどり大会が行われました。 盆踊りは踊れないので、ひたすらもつ煮を作っていました。皆さん楽しそうに踊られていて、浴衣姿の方が沢山いらっしゃいましたね。祭り装束ではないですが、それもまた粋ですね。浜町グランドの中央には3階建てのやぐらが組まれており、2階部分には100人が登れるそうです。今回が34回目となりますが、昨年は73,000人のお客様が来場され、今年はかなり多かったので80,000人超えたんじゃないですかね??毎年もつ煮を作っているので、他のブースには行ったことがないですが、浴衣を着て楽しんでみたいですね。

中央区大江戸まつり盆おどり大会

こんにちは、店主です。 先週の金曜土曜と中央区の浜町グランドで、中央区大江戸まつり盆おどり大会が行われました。 盆踊りは踊れないので、ひたすらもつ煮を作っていました。皆さん楽しそうに踊られていて、浴衣姿の方が沢山いらっしゃいましたね。祭り装束ではないですが、それもまた粋ですね。浜町グランドの中央には3階建てのやぐらが組まれており、2階部分には100人が登れるそうです。今回が34回目となりますが、昨年は73,000人のお客様が来場され、今年はかなり多かったので80,000人超えたんじゃないですかね??毎年もつ煮を作っているので、他のブースには行ったことがないですが、浴衣を着て楽しんでみたいですね。